【社員ブログ】傾聴、共感、辛抱

クレームをされるお客様がいらっしゃいます。

最近の会社員たちは、このような顧客にはどのように対応するべきかよく知っています。

新入社員もよく知っています。

特にカスタマーサポート部署への入社を希望する人は詳しく知っています。

メディアやインターネットを通して様々な情報を見ているからです。

それに加え、デパートやマートなどでわたしたちが直接、体験と学習をしているからでもあります。

 怒っている顧客の応対をする際に一番肝心なのは話を聞く事です。

ただ単に話を聞くのではなく 「傾聴」 が重要です。

傾聴は問題を解決する前の段階の立場で聞くことです。そして集中して聞きくことです。

 では、傾聴とはどのようにすることでしょうか?

まずは相手の意見を正確に把握することです。そして更にもう一段階上は、その人が言いたくても上手く言えないことまでをまとめて把握してあげることです。更に相手の感情を受け入れるのが重要です。

三つ目は「脈絡の把握」です。

 話を聞いたら次に問題の解決段階へと進みます。

傾聴にもコツがあります。

勉強をする時も、ただ単に一生懸命やるのではなく、そのための方法を探すのが肝心です。同じく傾聴にも方法があります。傾聴の一番基本的な方法は「復唱」することです。

 「商品のクォリティーが低すぎる」

 「あ、商品にご満足いただけなかったのですね」

 「印刷物にインクの跡がついている」

 「あ、印刷物にインクの汚れがございましたか」

 「注文した枚数より少ない」

 「枚数が不足しておりましたか」

 何も考えず、顧客の言葉を復唱します。とてもシンプルです。これだけでも怒りを落ち着かせてくださるお客様は多いです。勿論、口調には十分に気をつける必要があります。顧客が今、どのような状態なのかを確認する過程です。これは状況を正確に把握しようと努力しているという姿勢を示す過程です。そして一番先に状況そのものを把握することです。

状況を正確に把握するためへの次の段階は「共感」し、相手の感情を受け入れることです。

「明日クライアントに渡すものなのに、こんな出来では困る」

「たしかにこれでは渡せませんよね」

相手の感情をそのまま受け入れることです。怒っている顧客の気持ちをそのまま受け入れます。

 共感するだけで半分は落ち着きを取り戻してくださいます。

 この過程で有能な顧客応対担当者はお客様が興奮したり、あるいは、お客様ご自身が詳しくわからないため上手く説明できなかったり、表現できなかったりしていることを察知し、問題点を把握します。

そしてその次に代案を探します。

 「どのようにいたしましょうか?どのようにしたらお役に立てまでしょうか? 」と顧客に質問し、顧客に選択を促します。

「今すぐ、返金してください」

「ご返金ですね。かしこまりました。ご返金させていただきます。他に何かご必要なことはございませんか?」

 怒っている顧客には「傾聴−共感−問題解決」の順番で対処します。

この顧客応対方法は人間関係論がとても上手く適用されています。この顧客応対方法をしっかり理解し、方法を身につけると、配偶者、家族、職場の同僚に適応するときも、人間関係で生じる多くの問題を解決できます。

「傾聴する」

一度も会った事がないお客様の話でも私たちは耳を傾けます。本当に矛盾した主張に対しても根気よく聴き続けます。そしてよほどでない限り、お客様の話に割り込むようなことはしません。会社は顧客応対担当者にお客様の主張に反論するなと教育します。これは鉄則です。絶対に反論してはいけません。

 これらをお金を稼ぐためだと解釈するのは愚かです。顧客応対を通して、このような原則を確立したのは、この方法がお客様を落ち着かせる唯一の方法だと分かったからです。

 それだけでなく敵対顧客を友好顧客に変える手段だとわかったからです。アメリカ人基準です。

人が亡くなってお葬式をする際に訪れる平均弔問数はおよそ260人だそうです。一般市民が与える影響力がこれほどあるのです。勿論、オピニオンリーダーは、また違います。マーケティングにおいて重要なのは口コミです。身内からのオススメは強力な購入決定促進剤です。一人の一般市民が260人に影響を与えられます。故に一人の顧客を友好顧客に替えることは、大勢の人に影響されるため、その価値はとても大きいです。

 これは私たちが理論的に分析しなくても、はっきりわかります。既に沢山の話を聞いていて、日常で数多く経験してきたからです。

しかし、本当に不思議なのは、職場の同僚と話す際には、この原理を全く活用しないと言う点です。ぶっちゃけた話、顧客は担当者自身とあまり親しくありません。極端な話、会社を辞めれば二度と会わなくていい人です。顧客がクレームを言ったところで会社に損失が生じる可能性があっても、個人には影響しません。それでも顧客の滅茶苦茶な主張も根気よく聴きます。それが正しいと教わりました。上手く適用します。

その反面、1日9〜11時間、顔を合わせ、一緒に生活する同僚と話す時には全く、これを無視します。当たり前だからですか?まあ同僚よりもっと大切な家族や配偶者には同僚よりも酷く当たっているのを目にします。顧客は、その場をしのげば済みますが、同僚や家族、配偶者は常に一緒にいるので大変なのかもしれません。しかし顧客を相手に活用したこの原理を、同僚や家族に少しでも活用できれば、間違いなく関係が改善されます。

会社の同僚や部下との関係で傾聴ができない場合がとても多いです。聞き流す、話を最後まで聞かない、話に割り込む、反論する、ひどい場合は叱咤する、自分の主張を押し切るなど、顧客には絶対にしない事を平然とやります。

 私たちは毎週木曜日にカンバセーションをします。ティクーングローバルにだけある独特な制度です。カンバセーションの際にカンバセーションガイドラインを読み上げます。カンバセーションガイドラインにある項目です。「話に割り込むことや忠告は許されていません」この項目はとても重要です。割り込むなと言うことです。忠告も同じです。なぜでしょうか?これらは状況を進展されるよりは悪化させるからです。カンバセーションについて、「カンバセーションが好きな理由は、この3〜5分間は誰にも話を邪魔されないからです」と語る人がいます。当時は軽く話していましたが、これには重大な意味が含まれています。私たちは会社で本当に多く反論され、多くの忠告を聴きながら生活しています。

 私は、この会社のCEOです。そしてティクーングローバルの「インターネットを使って他国へ直販」するビジネス分野では私たちが韓国でも最高水準です。私も会社で反論され、忠告されることが多いです。勿論、私は強いカリスマ性もありませんし、私の意見の強要を避けます。そして多くの意見を聞くために自ら、そのような反論と忠告を自ら受け入れます。しかし不思議なのは私の話すら集中して聞かない場合がとても多いです。これでもCEOです。これでも、この分野では権威者です。そして、どうしても私の方が経験も多いです。それでも私の話を適当に聞き流すことが多々あります。私の話をしても受け入れ研究しません。自分が設定した枠組みに自分の話を持ち込み仕上げてしまいます。そして、できない理由をすらすらと述べます。

私の話を素直に受け入れません。傾聴できません。

傾聴ができないとコミュニケーションそのものができません。

コミュニケーションにおいては傾聴が一番重要です。聞き上手が最高の話し相手です。

「カーネギー人生論」でカーネギーは面白いエピソードを紹介しています。ある日、カーネギーがパーティーで植物学者に会いました。そして質問しました。

花を上手に育てる方法を尋ねました。

学者が答えました。カネーギーは再び質問しました。学者は続けて答えます。

カーネギーは知識がない分野を質問して相槌を打ち続けるだけでした。

それだけで2時間近くも会話をしました。別れた後、学者はカーネギーを「知識が豊富で教養のある紳士」だと賞賛したそうです。カネーギーは植物分野を全く知らなかったため、いくつか質問をし、それに相槌を打っただけです。それにも関わらずカーネギーは知識が豊富だと賞賛されました。

理由は一つです。カーネギーが話を聞いたからです。

根気よく聞くこと。滅茶苦茶な話も根気よく聞くこと。ここで傾聴が始まり、人間関係が始まります。「話に割り込んだり、忠告したりすることは許されません」根気よく集中して聞くことから人間関係は始まります。

「共感する」

聞くためには共感する必要があります。共感とはどういうことでしょうか?感情を共にすると言うことです。それは即ち、感情をそのまま受け入れることです。

素敵だと思った父親がいました。彼には小学4年生の娘がいました。娘が小学4年生なのにおしっこを漏らしました。彼はどのような行動をとったのでしょうか?彼は娘に自分が小学5年生におしっこを漏らした事を話してあげました。娘はどうなったのでしょうか?素早く罪意識から解放されました。子供は知っています。小学4年生はおしっこを漏らしてはいけないと言うことを。故に恥ずかく、からかわれるのを恐れます。そして叱られるのではないかと心配します。それでも、お父さんは叱る事もからかう事もなく、自分もそうだったと告白しました。子供は「あ!私だけじゃないんだ」と安心します。そしてお父さんが味方してくれると知って安心します。漏らした事を叱って直すより、娘との関係に価値を置きました。

私もこれを適用したことがあります。数年前、子供がアメリカへ交換留学に行ったことがあります。

1年間、アメリカの家庭でホームステイしました。勿論、寂しかったと思います。ある日、夜中に娘から電話がきました。「お父さん!寂しいよ」私は、その時に、この原理を適用しました。「そう、大変だね。寂しいよね。お父さんには分かるよ。お父さんもお婆さんと離れて大叔母さんのところで生活した時にはとても大変だったよ。泣きたくても泣けなかったことを今も覚えているよ。本当に大変だったよ。大叔母さんのところでもあんな思いをしたのに、お前はどれほど大変か、私には分かるよ」と話しました。そんな過程を経て娘はあの時共感してくれたことを今も忘れていません。

最近の親たちは子供のゲームを巡って頻繁に口喧嘩します。しかし、子供にゲームをやめさせる一番良い方法は、意外にも一緒にゲームをすることだそうです。親が一緒にゲームをすること。同類になることで子供のゲーム中毒を防ぎます。結局は共感過程の重要性を話してあげるのだと思います。

 根気良く聞くのも難しいですが、この共感もとても大変です。やり方を知らない人も大勢います。人は単に共感してもらえって欲しい時が多いです。手伝ってくれなくても良いです。理解を求めているわけでもありません。ただ気持ちをわかって欲しいだけです。それなのに、それを無視する言葉がとても多いです。

 仕事が大変なんだ

 誰も大変な思いしているんだ

 (それが聴きたいわけじゃないんだよ。忠告はやめてほしい)

 商品がなかなか売れていませんね

 登録したばっかじゃないですか

 (それは分かってるよ)

 部長のやつ、まじで腹たつ

 あいつより酷いやつはうじゃうじゃいるよ。我慢しなよ

 (そりゃ、うじゃうじゃいるけどさ、部長は明日も会わないといけないんだぞ?)

 共感を共有することに関する本には、殺したいと思う気持ち、若しくは死にたいと思う気持ちにも共感するようにと書いてあります。

 「お母さん、私もう死にたい!」

 「そんなこと言っちゃダメ!」

 この答え方を本では最悪な答えだと書いてあります。そんなことを言っちゃいけないと言うことは子供にも分かります。大変だねと受け入れれば済むのに、そこに強いて一言加えます。いっそのこと黙っていた方がましです。

 こう言うケースが本当に多いです。想像を超えるほどです。殆どの人が相手の感情を受け入れるよりは、感情を無視、拒否、忠告します。

人間は感情の動物です。感情に流され極端な判断をしてしまうことが多いです。腹が立つから、憂鬱だから、不快だから、嬉しいから、悲しいから、楽しいから思わぬ決定をすることが多いです。重要な話は良い雰囲気の店でやります。美味しいものを食べて気分が良くなると話がスムーズに流れます。緊張が必要な話し合いの場合は、相手が出す水やコーヒーすらも断って話し合いを始めます。雰囲気に左右されるからです。

 相手の感情を受け入れるのはコミュニケーションの次の段階です。根気良く聞くのと共感するのは一緒に行くための過程です。

 私たちはこれを顧客応対に上手く適用しています。怒っている顧客の話を根気良く聞いて、また怒りの感情も受け入れます。共感する過程です。顧客応対の時は上手く適用できるのになぜ、会社の同僚には適用しないのでしょうか?

「悟れるようになるまで待つ」

問題解決の過程は傾聴と共感の次の過程です。どんな面でも問題解決は傾聴と共感の次です。

ここにとても重要な原理が一つ隠れています。問題解決は自分でやらなければいけないという点です。

人は教えることが大好きです。訓戒を垂れるのも大好きです。忠告も好きです。それに反論もします。反対意見を出します。そして自分の話をすることも大好きです。馬鹿みたいです。自分が知っていることを一生懸命話すのは、既に知っていることの復習であり新しくありません。勿論整理になるかもしれませんが。それでも聞いている人はただ聞いているだけでも新しい知識がどんどん増えていきます。

人は反対意見を出すと優越感に浸るようです。「それは間違ってる」「それは違う」「違うな」が口癖のようです。ひいては批判的な検討をするするのが義務だと思っている人もいます。他のために自分を犠牲にする精神なのかもしれませんが、いつも一番にすべきことは「自分から正しく生きるべき」という点を考えれば、それほど好ましい姿とはいえません。それもまた高慢な心から来るのかもしれません。

私は携帯の待ち受け画面に「質問すること。人材第一」と表示してあります。

私は親戚の集まりで甥たちに会っても自分の話は殆どしません。そのためある程度年をとった甥でも私がどんな仕事をしてるのか知りません。甥たちは自分の話をするのに忙しく、相手には関心がないのです。私は甥に会うとたくさん質問します。一番簡単なことでは出勤する時の交通手段、かかる時間、昼食は何を食べるか、ということから始まります。私は甥に会ったら甥がどのように暮らしているのか知るために努力します。沢山質問をします。営業が得意な甥には営業の仕方を質問したりします。

甥たちは私のことが大好きです。他の大人たちとは長い時間一緒にいられず逃げてしまいます。当然です。忠告して、訓戒を垂れ、どのように暮らしているかには関心がなく、自分の自慢話で精一杯だからです。忠告も訓戒も結局は自分が優れていることを話しているだけです。会社員の30代の甥さえも逃げてしまいます。大人が質問する理由は相手を理解しようとしてではなく、忠告や自慢をするネタ探しの過程でしかありません。

甥たちに質問をしていくと意外と学ぶ点が沢山あります。彼らの人生を理解できます。何より関係が良くなります。甥たちも話させるとすごく上手に話します。楽しそうです。自慢したくてウズウズしています。全部聞いてあげればいいのです。そうすれば私は口も疲れないし私に対する好感度も上がります。

私は友達に会っても同じです。全部自分の話をします。相手の話に深い関心を持って理解して知識を増やそうという影は全く見られず、自分の話をするのに忙しいです。こんな状態では傾聴と共感は無理です。私は反対を選びます。質問し話させます。友達は今日、お前に会えてラッキーだと言わんばかりにどんどん話してきます。自慢話を始めます。勿論、私はその話の中から大切な教えを得ようとしています。

人は聞くのより話すのが好きで、学ぶより教えるのが好きなようです。しかし本当に大切なことは、聞くことを通じて教えることができるという事実です。教えようとする気持ちが先走ると、相手にうまく通じません。全ての人の心の中には「自分」がいっぱい詰まっています。教えようとすると教えられるべき相手から自慢したい「自分」が飛び出します。そのため教えることは殆ど不可能です。聞く過程または見本となる過程を通じて自ら悟るしかないのです。教えることが出来ないので忠告も無駄です。

反論は無条件に損です。私はちょっと変な意見でも、全く納得がいかない事でもできればそのまま反論しません。そのままにして時間が経てばその意見は自然と消えていくからです。無理に話をしなくても正しくないことは自然と消えていくことが多いものです。

カンバセーションガイドラインに「忠告はしません」という文言があるのもその理由からです。忠告しても解決しないからです。忠告ができないので説教も勿論してはいけません。ただ私たちができるのは時間が経って時が来て、自から悟るまで待つことではないでしょうか?

どっちみち教えることもできず、教えられない時、私たちができることは何でしょうか?関係を維持することです。そのために粘り強く聞いて、共感してあげるしかないのです。

教えるのが好きな人によくする失敗があります。教えるのが好きな人だけではなく、普通の人がよくやる失敗は苦しんでいる人に接する時です。事業に失敗した場合、または大きな病気を罹った時、小さいものでは失恋した友達に接する時も同じです。こういう時は絶対に「忠告」をしてはいけません。「大丈夫だよ。次があるさ」まるで共感しているようにも聞こえます。しかし今相手はそんな忠告を受けたり説教を聞く心のゆとりはありません。こういう時に一番いい方法は何も言わずただ横にいてあげることです。頼むから何も言わず、ただ横にいてほしいのです。「泣かないで」という言葉さえもいりません。「生きている人がちゃんと食べなきゃ」何を言ってもだめです。ただ一緒にいてくれることが一番の慰めなのです。辛いときに何も言わずただ一緒にいてくれる人、その人こそ本当に必要な人なのです。忠告、指示、訓戒はかえって関係を悪化させます。ただその気持ちを理解してくれることだけで問題の半分は解決するのです。

顧客に絶対してはいけないのは忠告と説教です。人は顧客には親切に接します。顧客に対して「貴方は間違っています」と言う職員がいたら気がおかしいので辞めさせたほうがいいでしょう。本当に有能な職員なら顧客自身に間違ったことを気づかせるでしょう。顧客が悟れないならそのまま放置するしかありません。この原理は職員同士でも適用されるべきです。

間違えたことを悟らせれば好かれるでしょうか?間違えたことを気づかせてくれた人にありがとうと言える人は聖人君子です。間違えたことを悟った時、それを受け入れられる人がいたら、私は本当にその人を尊敬します。その人は既に立派な人間です。大部分の人は間違いを悟ったら自尊心が傷つきます。自分はクールだという人でさえも足りない部分を認めるのは簡単ではありません。

「共感を妨げるのは高慢さ」

上でお話した通り私は32歳~35歳の頃に本を2冊書きました。24歳の時も1冊書きました。24歳の時に書いた本は自分の主張が殆ど入っていなかったので特に言うことはありません。32歳~35歳の時に書いた本は1冊目は7,500部、2冊目は2,500部ほど売れました。この本は本当に他の本からの引用もなく、自分で考えて整理して書いた本です。韓国で伝統的な社会科学書籍を出版する場合、初版は2,000部、多くて3,000 部印刷します。しかしこの2冊は合わせて1万部売れたので凄いことです。勿論この本の内容の中には今でも使える項目がかなりあります。

しかし私はこの本のおかげで足かせをつけられたような気持ちというか、ある面では罪意識まで持つようになりました。この本は全て進歩運動の方向を書いたものです。しかし私は今全くその方向とは違う道を歩いています。あの本を読んで進歩政治に足を踏み入れた人もいるのに、私は全く違う道を歩んでいるからです。私は自分が書いた内容に全く責任を持っていないということになります。そう考えると時に苦しくなります。他人の人生まで責任を負う必要はありませんが、高慢に吐いた言葉を自ら守れないのは苦しいことです。

私はその後、意見を強く主張することを避けるようになりました。勿論CEOなので強く押し通さなければならないこともあります。例えばティクングローバルを創立したのは自分の判断を信じたからです。最近やったことはシンガポール進出と日本総合モール事業を強く主張したことです。私がこうすべきだと思ったときはやりますが、他のことに対してはとても慎重です。

私の30~40代の経験があるので強く自分を主張するのはできるだけ避けます。そして相手の意見をまず聞こうと努力します。もし私が相変わらず主張が強く、他の人の意見を傾聴しない姿が見えたとしたら、それは私の昔の習慣がまだ消えずにいるためです。

忠告と訓戒は自分も間違うことがあるということを知らないので簡単にやるのです。若しくは相手を見下しているからです。そしてもっと重要なことは、自分が相手を変えることができると思っているからです。

しかしこのような行動は何の役にも立ちません。私たちは不完全なだけでなく、成功もしてもいません。本当に成功したなら今この時間、ティクングローバルにはいない可能性がとても高いです。皆さんも同じで私も同じです。大きく成功してはいません。特別に優秀ではないということです。私たちは特別に優秀でもないのに今でも忠告したり訓戒を垂れています。若しくは他の人の意見を聞かず反論をしてます。全て自分の高慢さが底辺にあるからではないでしょうか?

顧客に対するとき私たちは高慢にはなりません。かえって謙遜な姿勢になります。顧客が変な主張をした時さえもその主張でなく深い意味を探る余裕を見せます。顧客の主張の中にある良い意見を聞くためにです。この心が大切です。私たちが顧客よりも大切な同僚、そして家族に持つべき気持ちはこの気持ちなのです。

自分の意見を主張せず、もし相手が間違っていても自分から気づくまで待ってあげる心が大切です。私たちが成長するのは、まさしく自分が正しいと思っても慎重に推し進め、相手が間違っていたとしても自ら悟るまで待つ過程ではないかと思います。

顧客より同僚のほうがもっと大切です。同僚より大切なのは子供です。子供より大切なのは配偶者です。それなのに私たちはもっと大切な人に対してよくしてあげられているかについて、深く考えなければなりません。

皆さんはいかがでしょうか?

傾聴-共感-待つことができていますか?

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